言葉の引き金

好きな音楽やアイドルについて。

幸福の引き金




あの時確かに、私は消えたかった。





2006年4月7日。

とある音楽と出会いました。



きっかけは「ゴーK!」というラジオ。

大好きな麒麟の大好きな「グーグーモンキーズ」というラジオが終わり、そして新しく始まったのが「ゴーK!」


大好きな麒麟のお話が聞きたいがばかりに、夜中にアラームをセットして。

ラジオのエリア外ながらもアンテナを持って部屋を右往左往しながら、電波を必死に拾う午前2時。


なぜこんなに必死だったのか。

今となっては小さく、しかし中学三年生にとっては重すぎる悩みを抱え、学校にもあまり行けなかった私には、お笑いだけが、麒麟のラジオだけが、唯一ホッとできる時だったから。



「新しく始まるラジオには麒麟だけでなく、どうやらミュージシャンも出るらしい」

というのは前情報として知っていて。

しかし片田舎に住む中学生は、そのミュージシャンのことを何にも知らなかった。



ジングルが流れて始まるラジオ。

大好きな麒麟トーク

そこに聞こえてくる、可愛らしい女の人の声。

緊張してる雰囲気は伝わるけれど、妙に軽快な語り口の男の人の声。

話を聞いているとどうやら、その女の人は小塚舞子ちゃんといい、男の人はスムルースの徳田さんというらしい。

麒麟トークが聴きたいのになーと思いながらも、その4人のやりとりをワクワクしながら聴いていたのを覚えています。




天才肌の、と茶化されながら。

曲書くぞ!と思って、意気込んで書きました!と言いながら。

言葉の引き金ってなにそれかっこいいちょうだい。と川島さんにせがまれながら。

妙に軽快な語り口の男の人のやっている音楽の紹介に。



流れた曲は、

「リリックトリガー」



1音目が流れた瞬間から、動けなかった。

哀しくも暖かく響く声と音。

今まで知らなかった世界。



そして紡がれた

「幸福の克服」

という言葉。




「幸福の克服」?


「幸福」って、なりたいもので。

誰もが幸せになりたくて生きていて。

必死に探して、追い求めてるもので。

少なくとも私はそう思っていて。

だから悩んでいたし、だから動けなかった。

外の世界を見てみたらそんな悩みなんて小さいよ!とか言われながらも、当の本人はちっぽけだなんて思えなくて。

幸せになりたいとずっと思っていた。

なんで、わたしだけとずっと思っていた。



なのに、この人は、わたしが欲しくて仕方ない「幸福」を「克服」するものだと歌った。

ただただ衝撃だった。


なぜ、そんなことを言うのか、知りたくてたまらなかった。

なら、まずは他の曲も聞いてみよう。

そう思ってたどり着いたのが

「冬色ガール」


「私にとってとても不幸な

とても不幸なことなのは

昔とても幸せだった

幸せだったことでしょう」


ストン、と。

何かが落ちた気がした。


幸せだったことがあるから、不幸だと感じる。

幸せを知ることは、不幸を知ること。

逆に言えば、幸せを知らなければ、不幸を知ることはない。

だからこその、「幸福の克服」


小さかった世界が広がった瞬間だった。





そこからは根っからのオタク気質が再び目を覚まし、スムルースを調べ上げる日々。


ボーカルの人は徳田憲治。

あだ名、おっさん。

スムルースの曲はすべてこの人が書いていて、ジャケットの絵も描いている多才な人。

でもギターにはあまり詳しくない。

その代わり動物の生態にやたら詳しくて、ライブで変な動きをしているらしい。


ギターの人は回陽健太。

ファンの人からは王子と呼ばれているみたい。

写真を見たらなるほど納得の王子オーラ。

でも喋ると独特の世界を持っていて、回陽ワールドが炸裂することもある。

そばを食べながら俺そばアレルギーやねん。と言い放つ人。


ベースの人は小泉徹朗。

くちびるが特徴的な元キノコ頭の人。

こだわりがミリ単位で強い人。スムルース唯一の古着派。

絵が上手くてスムルーヌというキャラクターも描いている。

いつもにこにこくねくねとベースを弾く人。


ドラムの人は中嶋伸一朗。

なんか残念。なんかミラクル。

ライブですぐに椅子の上に立つ。そのせいで服が燃える。

中嶋いるところにトラブルあり。

いじられまくる人。オチ担当。

運にもメンバーにも愛されている人。



知れば知るほどメンバーが個性的で。

知れば知るほどいい曲ばかりで。

どんどん世界が広がっていった。

大好きになるのに時間は全くかからなかった。




受験のために一年間はライブに行けず。

晴れて高校生になった私は、

名古屋にスムルースが来るらしい!」

と聞きつけ、初めてライブハウスに足を踏み込みました。

そのイベントが、SAKAE SP-RING。


今ならつっこめる。

なぜ初ライブがサーキットイベントなのだ、と。

でも、結果とてもよかったのでは?と思っている。


スムルースの出番まで、いろんなライブハウスを歩いて回った。

初めて足を踏み入れるライブハウスは、怖くなんてまったくなくて。

みんなどこを見てもニコニコしてて、キラキラしてて。

街に音楽が流れるって、すごいことなんだなって子供ながらに思った。



そして、クラブクアトロ

初めてのスムルースのライブ。


それはもう、それはもう、きらきらで。

CDでしか知らなかった曲が、目の前でどんどん紡がれて産み落とされていく感覚。

ステージが、客席が、そして何よりも自分の心が、きらきらしていた。



幸せだ、と思った。




そこからは、もう、ライブが、音楽が、大好きになった。

スムルースだけじゃなくて、他にもたくさん素敵な音楽と出会った。

音楽がきっかけで、人とも出会った。

「学校」を飛び出して、いろんな人と出会った。

出会って、別れもあったけど、それでも繋がっている人もたくさんいる。

そのあとハマることになるジャニーズだって、元をたどればスムルースを好きになったから、であって。

だからジャニーズを通じて知り合った大切な友達も、全部全部、スムルースのおかげ。

 


世界がね、一気に回り始めたんだ。







あの日のラジオから、10年が経った。

この10年、泣きたい時も、笑いたい時も、苦しい時も、楽しい時も、ずっとずっと、スムルースの音楽がずっとそばにあった。


何度聴いたかわからない。

何度ライブに行ったかわからない。

それでも曲を聴くたびに、ライブを見るたびに、言葉に触れるたびに、新しい気持ちをもらった。


無理に前を向かせるでもない。

今の自分を全肯定してくれる。

「大丈夫だから」って、言ってくれる。

それが、私にとって、

どれだけのことか、分かりますか?





あの時確かに、私は消えたかった。



でも、

「変わってもいいよ、変わらなくてもいいよ」

って、

「自分は自分を生きるようにできている」

って、言ってくれるから。

だから、わたしは、いま、消えずにここにいるよ。


消えたかった私が、

「生き抜きたい」

って、思うようになったよ。


また会えるまで、生き抜くから。

だから、また会う日まで、どうか元気で。








私にとっての「幸福の引き金」は、スムルースに出会ったこと。


つづく。