言葉の引き金

好きな音楽やアイドルについて。

ひらひら舞う未来 思い出にして 消えないように

‬『演劇を見る』のってものすごく労力のいることだと思っていて。
お金も安くないし、時間も凄いかかるし、行き帰りの時間もあるし。
なのに本当応援してくれている人が多くて。
『何かを応援する』っていうことは応援してもらってる側の僕らが言うのもなんなんですけど、すごく素敵なことだと思うんです。多分自分が生きる大きな糧になると思うんですね。応援される側が言うのも本当になんなんですけど。
だからそういうことをしていることを僕らは誇りに思っていますし、応援していてよかったなってもっと思ってもらえるように、あの時から応援しててよかったって、もっとずっと思ってもらえるように、これからめちゃくちゃ頑張ります。人狼TLPTも人狼TLPT以外のことも。
僕たち私たちが見てたあいつら凄かったんだなって思ってもらえるようにすげー頑張ります。

 

 

朝日がステージからいなくなってから、やっぱりどうしても日常への張り合いがなくなっちゃって。

「あと何日頑張ればえび座だー!」とか「湾岸の為に今は働かなきゃ!」とか「今月も三誌のビジュアルがいい!まじで顔が好き!」とか。そういった具体的な楽しみがないとこんなにも毎日淡々と過ぎていくんだなあと日を追うごとに実感していました。仕事をこなして家に帰るだけの日常ってこんなに味気ないんだなあ。

 

中学生の頃からずっと何かとてつもない熱を込めて「好きだ!」って言えるものがそばにあって。それはお笑いだったり音楽だったりラジオだったりしたんだけど、中でも一番時間もお金も使ったのが梶山朝日っていうアイドルでした。だからそれが急に目の前からいなくなったらまあそりゃあぽっかり穴も空くよなあ、と。

そんなぽっかりを埋めるために、元々大好きだった音楽の現場に行ってみたりもしたんだけど、朝日の現場ばっかり行ってた頃にも音楽の現場は普通に行っていて。その2つの趣味は今までもずっと共存していて。だから音楽方面に帰ったところで朝日の分のおっきな穴は埋まらなかった。

 

なんとなく朝日が出た最後の少クラも見る気になれなくて。

えび座のレポ見る度に勝手に寂しくなって。

5人のTravis Japanを見るのがとにかくしんどくて。

ジャニーズのキラキラした姿を見るのが辛くて。

キラキラしたステージを見るたび泣けてきて。

 

あー、もうどうしようこのまま辛いしんどい何もしたくないって日々過ごしてくことになるのかなあ、って思っていて。

そんな時に思い立って観劇したのが人狼TLPTの5周年公演でした。

今年の6月くらいからゆるゆると茶の間で見ていて、なんとなく推しのキャストもいたんだけど、5周年ツアーで初めて名古屋に来るし、気になってたキャストもたくさん出演するってことでとっさにチケット取って行ってきました。

これが、もう。私にとっては、衝撃的な程に魅力的なコンテンツだった。

コンテンツの魅力とか、人狼TLPTとはなんぞやとか、そういうことはもう少し自分の言葉で表現できるようになった時に書くとして。

その中でも、松崎史也という人物に、死ぬほど衝撃を受けた。

元々観劇する前から一番好きなキャストではあったんだけど、生で見る史也さんのエネルギーは痺れるほどにすごくて。

単純な人狼の強さはもちろん。場を回す力とか、物語を推し進める力とか、伏線の回収の仕方とか、俯瞰で物をみる姿勢とか、強さに驕らないしなやかさとか、思考の柔軟性とか、それでいて根底にある自分自身の作る作品への絶対的な信頼と自信とか。

全てがかっこよくて、綺麗で。言葉にできないくらい美しかった。

この人を通して見る世界は、キラキラしてるだけじゃないのかもしれないけれど、その分いろんな色を教えてくれるんだろうな、って。直感的に感じられた。

 

 

で、この前。福岡公演千秋楽の映像を見ていたら。このブログの冒頭に載せた挨拶を史也さんがしていて。

 

『なにかを応援するということは、生きる上で大きな糧になる』

 

って、話していて。

これ、わたしが梶山担してる間ずっと、朝日に対して思っていたことだったんだ。

朝日を応援するって、好きでいるって、ただそれだけのことが、私にとって日常を次の楽しみまでなんとか押し進め続けるための原動力で。毎日を楽しく生きるちょっとしたコツで。つまりは「生きる上での糧」だった。

でもそれって、受け手が勝手に乗せるその気持ちって、重荷にもなるって考えてた。

ステージに立つ人たちはそんなもの背負うためにそこで輝いてるんじゃないって思ってた。

だから、二個前のブログで朝日に勝手に乗せてたそんな気持ちを書いちゃったことを少しだけ後悔もしてて。

でも、史也さんは、それを全部受け取って抱え込んで。なおかつ前へ進む躍進力に変えているような人で。

全てを丸ごと背負って前へ進む姿は、今の私にはとても輝いて見えて。頼もしくて。

「そんな気持ちを勝手に乗せてもいいのかもしれない。人の気持ちや人生を豊かにするためのエンタメなんだし。」

って、自分の気持ちをポップに昇華することができた。

 

 

ひょっとしたら朝日の後、同じくらい熱を持って応援できるとしたら、この人なのかもしれないって、いま、そんなことを考えてます。

 

今でも、きっとこれからも、朝日以上にキラキラと輝く世界を見せてくれる人は、私にはもう現れないと思ってる。

でも松崎史也は、綺麗な色だけじゃなくて、いろんな種類の色を教えてくれるんじゃないかなあ、って。そう思ってて。

 

 

朝日がいないステージが悲しくて辛くて抱えきれなくなってたこのタイミングで、そんな風に思わせてくれる表現者に出会えたので、その気持ちを覚えておくための日記。

しばらくは、松崎史也にいろいろな世界を教えてもらおうと思います。

キラキラした世界だけじゃない。赤も黒も白も黄色も青も、全部。

 

 

今純粋に『じゃじゃ馬ならし』の観劇が楽しみだなあって思える日常がまた来てくれたことが、本当にしあわせです。